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子育てしながら働くお母さんを「ワーキングマザー」とひとくくりに言いますが、その家庭環境はさまざまです。楓さんちは、発達障がいの長男を含めた5人家族です。ちょっとだけ日常生活をのぞかせていただきました。
 ある日、夫が言いました。「楓のコラムずっと読んでいるのだけど、これじゃ俺、何もしていないみたいじゃん」...えっと、そんなことはないです。あくまでも私の視点から書いているので、これまでに登場してないだけなんですけど。。。。
 リュウは周りの人にとても恵まれています。家族のほかにも、夫の両親、従兄妹、地域の人々等々。あたたかい愛情に包まれてすくすくと育っています。今回は、夫をはじめ、リュウの成長を見守ってくれている人とのエピソードを綴っていきたいと思います。

 障がいがあるかもと思いはじめた時から、夫は「リュウはリュウだから」というスタンスでした。私はというと、「1年分くらい遅れています」という判定を聞いて、「1歳分の遅れを取り戻さないといけない」という焦る気持ちが常にありました。療育の他に習い事(スイミングと学習塾)に通っていました。しかし、療育でも習い事でもリュウの落ち着きのなさに振り回されたり、暗に成長の遅れを指摘されたりすると、どうしようもなく悲しくなりリュウに八つ当たりする日々を過ごしていました。リュウはその度に涙を流していました。私自身に刷り込まれた考え方、遠慮深さが美徳とされる日本文化の象徴としてよく言われる「自分のことを必要以上に卑下したり、人と比べてしまう習性」が私を苦しめていました。私がリュウに辛く当たる時は、たいていリュウを他の子と比べて遅れているなと感じた時でした。

 そんな時、夫は「リュウはリュウだから」とリュウのありのままを包み込んでいました。深い愛情から出る一言であることは頭で理解しつつも、「それはわかるけど、療育に立ち会うことも習い事に付き添うこともないからそんなに冷静でいられるのよ。しかも、私は育児休業をとって仕事を一時中断している。あなたは違うでしょう?」という気持ちが私の中に渦巻いていました。夫に育児休業を取得してほしいとお願いしたことも何度もあります。でも、育児休業を取得できるような職場の雰囲気ではなく、実現することはありませんでした。この夫に対する複雑な気持ちは育児休業中消えることなく、何度も夫とぶつかり合いました。激しい喧嘩をして何日も口をきかなかったり、お互いに辛かった時もありました。

 「リュウはリュウだから」と包み込む夫は、リュウには心地良く、夫にとてもなつくようになりました。その夫の言葉や姿勢から、のちに気づかされたことがあります。それは、私が良かれと思ってリュウに何かをやらせても、人と比べて落ち込むのであれば意味がないのではないかと。それからは、私自身、無理をすることが減りました。リュウが楽しくなさそうな習い事や、一緒にいて気持ちが疲れる方とは距離を置くことにしました。どうしてもリュウの付き添いがキツイ時には、時間の許す限り夫に頼みました。

 私はリュウと少し距離をとることによってリュウを客観的に見れるようになりました。リュウだって普通の子どもと変わらないところがある。そう思うと楽な気持ちでリュウに接することができるようになりました。もし、夫が私と同じような考え方だったらリュウを含め家族はどうなっていたでしょうか。世間体ばかりに気を取られ、リュウの気持ちに寄り添うことなく高度なことばかりを求め、勝手に失望していたかもしれません。私だけがリュウを背負うのではなくいろんな人にリュウのことを見守ってもらうことにしました。

 幸いなことに義理の両親が隣に住んでいるので、リュウは自由に行き来する毎日です。特におばあちゃんは優しいので、リュウにとって癒しの存在です。おばあちゃんの家はクールダウンスペースのようなものですね。我が家はリュウの下にハルや珠子がいるので、リュウばかりに構っていられません。そんな時祖父母の存在はとてもありがたく感じます。時々、リュウの障がいについて必要以上に心配しすぎることもありますが...。

 義理の姉も障がいについて詳しいわけではありませんが、リュウの扱いが上手です。義姉の子どもたち(リュウのいとこ)も、リュウのことを馬鹿にしたりすることはありません。ともすると、リュウは独特の世界を持っているので同じ世代の子どもにからかわれることがあるのですが、彼らは全くそんなそぶりを見せずリュウと仲良く遊びます。日常的にいとこと遊ぶことも多いので、リュウの社会性にいい影響を与えてくれているようです。

 弟のハルや妹の珠子も自然にリュウに接しています。下二人はまだ小さいですが、リュウととても仲良しです。下二人と過ごしている時のリュウはとても優しく、本当に高機能自閉症なのだろうか?と思う時もあるほどです。親バカな私からみれば、我が家の子どもたちはすくすく素直に育っている、そう思うのです。それは、リュウを丸ごと受け入れることができる夫の影響が大きいかも。何でも一所懸命やってしまう「私」と、客観的に冷静に物事を受け入れられる「夫」のバランスが取れているのだと思います。

 私の実の親や兄は、数年経った今でも、リュウの障がいについて理解が追いついていないようです。今でも「私が甘やかして育てたから」だと思っています。理解してもらうのは難しいと感じて、今はあえて障がいについて話すことはありません。でも、孫の一人として可愛がってくれています。それだけでいいかなと思っています。世の中すべての人が障がいを理解してくれるわけではなく、様々なとらえ方があるということを教えてくれているのかもしません。

 リュウを育てることで、今までの価値観がガラッと変わりました。「あるがままでいいんだ」ということが、生きていく上でとても気持ちのいいことなのだと気づかされました。このことが私の人生に変革をもたらしました。

 この文章を書いている最中、リュウはいつものように絵を書いていました。ボールペンでひたすら列車などを書くのがブームなのですが、この日はクレヨンを持ち出してきて、なにやら黙々と書いているのでそっとしていました。しばらくして、リュウが「できたよ」と絵を持ってきました。


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 「ありがとう」なんてめったに言わないリュウからの「ありがとう」。こんなに嬉しい言葉をリュウに自然にかけてもらえるようになる日が来るとは思いませんでした。

 まだ小さかった3歳の時、療育センターの門をくぐった日から、将来に対する不安に押しつぶされそうな気持ちをずっと抱えて過ごしてきました。ちょっと楽になったかなと思ったころに、また問題が出てきたり、同年齢の子どもたちとの違いを目の当たりにして落ち込んだりを繰り返してきました。 最近は、成長したリュウの心配ごとは減り、少しずつ手がかからなくなりつつある中でのプレゼント。私も「ありがとう」とリュウの頭を撫でましたが、感覚過敏のリュウから照れくさそうに手を払われてしまいました。私は、心の中でギュッとリュウを抱きしめました。
 我が家のリュウはなんとか無事に、一年生を過ごすことができました。山あり、谷ありの毎日で決して楽な道のりではなかったかもしれないのですが、学校生活においては担任の先生をはじめ、校長先生や他クラスの先生にも支えられて穏やかに過ごすことができたと思っています。リュウは4月から2年生。どんな日々が待っているのでしょうか?前回からの出来事については、次回以降に綴りたいと思っています。

 さて、今回は今までとはちょっと違った視点でリュウについて書いていきたいと思います。リュウは3人兄妹の一番上です。下の二人は今のところ、リュウに見られたような特性はないようです。リュウと下の子たちを比べると...、感性が違うのは「リュウの耳」に要因の一つがあるのではないか?と思うようになりました。ということで、リュウの特性についての一考察を記録することにしました。私自身、深く調べたわけでなく、日常生活について感じていることですので、専門家の方が読まれたら、ん?と思われるところがあるかもしれませんが、親独自の視点ということで、しばしお付き合いくださいませ。

 なぜ、耳に注目したかというと...、ある日の家族旅行でのことでした。
私たち家族は山の中のカーブの道を車で進んでいました。後部座席にいた私と、次男ハルは、少々の車酔いを感じました。ハルはいつもカーブの続く道を通ると気分が悪くなるのですが、この時は、吐きそうなくらい気分が悪かったらしく「ゲー(げっぷのこと)が出る」と半泣きの状態でした。リュウは大丈夫かなと目をやると、助手席で一生懸命漫画を描いていました。(読むのではなく描いていた!)私やハルはちょっと本に目をやろうものなら、すぐ胸がムカムカしてくるのに、リュウは絵を描いているなんて!そういえば、リュウは小さいころから車酔いを全然しない子どもでした。車酔いには耳の中の三半規管が影響しているとも言われますが、リュウはその辺が普通と少し違うのかなと、何となく納得しました。

 三半規管といえば、平衡感覚を司るとも聞いたことがあります。リュウは小さいころから不器用でしたが、平均台はとても得意な子どもでした。フラフラせずに一気に平均台を走り去る姿は圧巻でした。平衡感覚が優れているかどうかはわかりませんが、リュウはすごく多動というわけではありませんが、ダッシュで階段を駆け下りたり、高いところに登ったりすることよくありました。でも、今まで怪我をしたことがありません。学校のお友達のお母さんから聞いた話では、リュウはうんていの上(学校の運動場にある遊具です)を歩いていた!そうです。危ないことをすれば、その都度きちんと注意をしているのですが、一度言ってもすぐに実行できない特性。それをカバーしている平衡感覚を持つことで、ある意味絶妙なバランス感覚を持ち合わせているのかもしれません。

 音感についても特性を感じます。彼は赤ちゃん時代から音程よく歌うことができました。言葉を会話のツールとして話すことは4歳近くまでできなかったけど、歌は上手でした。現在リトミックとピアノを習い始めて4年目に入りましたが、教室の先生からもとても音感がよいとお褒めの言葉をいただいています。ただ、特性上、楽譜を読んでいたら手を動かすのを忘れるという状態なのでピアノ自体はゆっくりとしか上達していません。楽譜を読んで曲を弾くというより、音楽を聴いてその音から曲を弾く方が得意のようです。カーペンターズの「Top of the world」を楽譜はないのに音程をひろってメロディーを奏でていました。目指せピアニスト辻井伸行さん!ですね。

 リュウの耳の聞こえは正常だと思います。しかし、聞こえ方には特性があります。リュウに話しかけるときリュウが何かに集中していると、全然気が付きません。なので、リュウの体をタッチして気を向けるか、目を合わせないと話ができないことが多いです。その割には、私たち夫婦が会話している内容のキーワードをリュウが突然質問してきてビックリすることがあります。
学校の先生から聞いたエピソードですが、リュウの通う学校の改築が終わった後、給食時の放送が聞こえてくると耳を塞ぐようになったことがあったそうです。耳を塞ぎながら給食を食べるもので、給食が終わるのが遅くなったため先生が「なんで耳を塞ぐようになったの?」と聞いたら、リュウは「スピーカーからチッチッと聞こえてくるんだよ!」と言ったそうです。スピーカーが変わったことによる雑音だったと思いますが、その音は普通の人には聞こえないくらいの音だったので、誰も気が付かなかったのでしょう。それを聞いた先生は教室の音楽のボリュームを下げくれたそうです。するとリュウは楽になって落ち着き、耳を塞ぐことをやめたたそうです。この話を聞いた時には、「先生対応してくれてありがとうございました!」と素直に嬉しくなりました。普通の人には聞こえない音に対して理解を示してくださったことに感謝しました。もし、理解のない先生なら「先生は聞こえません」で終わりだったと思います。そのような対応だとリュウは雑音が苦痛で、多動や多弁になり、不適応を起こしていたのではないかと思います。

 雑音に関しては、ある特定の場所を通るときリュウが耳を抑えることが何度かありました。普通の人が聞こえない高周波、又は低周波が彼には聞こえるのかもしれません。リュウの耳は、私たちができる不要な音を排除するという機能が弱いと思われます。なので、常にリュウの頭の中は雑音だらけで、必要な指示を聞けないのではないかと分析しています。
皆さんはノリがよい音楽を聞くと自然と体が動きませんか?リュウは普通の人が聞こえない音まで聞こえてしまうので、常に頭の中に音がある状態だと思います。そうすると音に対して体が自然に反応してしまう→その音にノッてしまう→落ち着きがなく、多動になってしまう、というサイクルの中でリュウは生きているのかもしれませんね。

 リュウが不安定になる時期。それは花粉が飛んでいる時期。そう、リュウは花粉症なのです。今年の花粉症の時期は目が真っ赤になっていました。耳とつながっているのは鼻、鼻とつながっているのは目。リュウは花粉が目に入り、とても目がかゆそうでした。目が調子悪いと耳に影響するのでしょうか?気持ち悪かったのでしょう。それを払しょくするためか、リュウは花粉症の時期にエンドレスで鼻歌を歌っていました。この鼻歌は、リュウの頭の中でも繰り返されていたのでしょう。上記で書いたように中々指示が通りにくいリュウですが、花粉症の時期はいつも以上に指示が通りませんでした。いつも2回指示をしたら反応するのに、この時期は5,6回くらい言ってやっと反応するという状態でした。療育でリュウに対する関わり方を勉強して少しずつ成長を感じる日々であったのに、花粉症の時期は「成長が後退したのか!」とガックリしてしまう事が多々ありました。リュウに対して私の雷がドカーンドカーンと多発していました(怒ってもしょうがないのですが、私も仏ではありませんので)
これまでリュウを花粉症で病院に連れて行ったことはなかったのですが、あまりにも目が赤くなりすぎていたので小児科で抗アレルギー剤を処方してもらうと、すぐにいつものリュウに戻りました。たかが花粉症と思っていたけど、やっぱり自分の気持ちを伝えることの難しい自閉症児ですね。リュウは本当にきつかったのでしょう。体調には気を付けてあげないといけないなと反省しました。

 こうやって、リュウの日常の一部分を綴ってみたのですが、できるだけの配慮はしているけど、リュウだけを中心に回っている家族ではないなと感じられるのではないかと思います。私自身、すごくおおざっぱな性格です。私には仕事がありますし、ハルや珠子もいるので、リュウにベッタリというわけにはいきません。家族や学校、地域のコミュニティーから、彼が社会性を学んでいくことを願っています。リュウのことを受け入れてくれる場所をこれからも模索しながら、そのバックアップをしていく、それが私たち親の役割なのでしょうね。

 今回の話はでたらめな分析かもしれませんが、発達障がいの子どもの特性をよく観察して理解することにより、私たちでもありうる事象をより繊細に感じてしまうのが彼らなのだ!と思えば、育てにくいと言われている発達障がい児に共感し、寄り添うことができるのではないかと思うのです。
 いよいよ小学校入学です。あこがれの校区内の小学校に入学です。3年前は通えるかどうか不安でしょうがなかった学校に通えることがとても嬉しかったです。しかし、その学校でうまく軌道に乗れるのか、不適応を起こして転校することになるのではないだろうか等、常に不安が脳裏を駆け巡っていました。

 就学相談を終えて普通級の判定をいただいてから、校長先生をはじめ学校の先生と話す機会を作り情報交換をはじめていました。それがよかったのか、入学式の1週間前に小学校の教務主任の先生から「入学式の練習をしませんか」と声をかけていただきました。入学式は月曜日だったので前の週の金曜日に練習しました。リュウは担当の先生(担任の先生ではありません)の誘導で教室から体育館までの経路を確認し、椅子に座るまでを練習をしました。やはり初めての場所なのでテンションは上がっていました。練習をさせてもらって安心したのですが入学式でウロウロ、ペラペラしゃべったらどうしよう...と特性が出た時のことが頭をよぎりました。心配な気持ちを校長先生に伝えたところ「大丈夫とは思います。1年生全体が座る位置の後部に2名の先生を配置します。おしゃべりが始まったら声掛けをしますし、もしパニックを起こしたら会場から連れ出すことも考えます」と言ってくださいました。学校側としても対応を考えて下さっていることがわかり、心強く感じました。

 いよいよ入学式です。保育園の卒園式とは違い雨模様でした。リュウは分離不安を示すこともなく、すっと教室に入ることができました。私は保護者席でリュウ達一年生の入場を待っていました。リュウは他の一年生と変わりない様子で入場してきました。式の間は後ろを見たり、時々独り言が聞こえてきたのですが、補助の先生が諭すと静かにすることができました。他にもキョロキョロしたり、落ち着かない一年生がいたので、リュウはそこまで目立ちませんでした。担任の先生の発表があったのですが、新しくリュウの学校に着任した先生でした。今まで長い間かけて学校と連絡を取っていたのですが、一から先生に伝えなおさないといけないのかと呆然としましたが、入学式後のホームルームで先生の明るい人柄にふれて根拠は無かったのですが「この先生なら大丈夫!」と感じました。

 翌日から登校班での通学が始まりました。グループで登校するので安全や防犯の面では問題がなかったのですが、歩くのが遅かったり、他の人との距離の取り方がわからないリュウでしたので登校班のメンバーに迷惑をかけてしまうのではないかと思い、こっそり登校班の100mくらい後方をついていきました。すると意外と列を乱さず並んで歩けたので少し安心しました。学校に到着し1時間目までは教室の外から見守りました。慣れない場所なので離席して脱走しないかという心配があったのですが、こちらも一時間座ることができました。一旦帰宅して帰りの会の前に様子を見に行ったのですが、一日座っていて疲れたのでしょう、何回か離席をして先生がお話をしている最中に質問を繰り返していました。

 入学式から数日後、担任の先生がリュウの特性について話し合いたいと言ってくださって時間をとりました。療育センター時代に作成したリュウの特性の表と療育センターの先生が作成したお手紙を渡してリュウの特性について説明しました。担任の先生は以前にも自閉傾向の生徒を担任したことがあるとのことだったので、リュウの特性についてすんなり理解してくださいました。リュウに対しては全体指示の後、必ずリュウに対してもう一度個別指示を出し理解を確認しますとのことでした。学校の中でも先生間で共通認識をもっていただいていました。

 リュウのつかず離れずの付添は1週間ほど続けました。最後の方は子どもたちから「おばちゃん、何で毎日いるの?」と不審がられました。私以外に付添をしている親は誰もいませんでした(汗)。私は支援学級がないからリュウに何かあった時にはすぐに対応しないという気持ちが強かったのです。珠子の育休中だから時間が取れたのですけどね。フルタイムだったら絶対に無理だっただろうと思います。でも、初めでつまずいたら絶対に後に響いて学校に慣れるのに時間がかかると思ったので、私の気が済むまでつきあいました。意外と早く慣れたので何かあったら連絡を下さいと伝え後は先生に任せることにしました。下校班のお迎えは1学期間毎日頑張ったのですけどね。

 リュウの離席や多弁は5月ごろには、収まりました。リュウはルールを守ることが得意なので、学校でのルーチンワークが頭に入ってくるにつれリュウの学校生活は落ち着いてきたようです。学習面では遅れはなかったので授業もついていけました。文章題は苦手ですが、計算や文字の読み書きは得意でした。

 小学校では6年生が1年生のお世話係をすることになっていました。リュウにも担当の6年生がつきました。しっかりした女の子が担当でした。行事ごとにペアで行動していました。春の遠足、校内集会、夏のキャンプ、時に二人羽織状態になりながら面倒を見てくれました。なので、先生がつきっきりということはあまりなかったようです。

 リュウの障がいについては、クラスメイトや保護者にカミングアウトしないという方針でしたので、授業参観の時は肩身が狭かったですね。姿勢保持が難しくグニャグニャしたり、発表で当てられないと先生に文句を言ったり、当てられたかと思えば「わかりません」と言ったり...。授業参観で教室の雰囲気が変わり集中が持たなくなっている中でリュウが頑張っているのはわかるのですが、私は穴があったら入りたい気分でした。回を重ねるにつれて授業態度はよくなってきていたのですが、私は器が小さい人間なので他の親御さんはどう思っているのかとても気になっていました。

 そんなマイワールド全開のリュウですが、天然キャラ炸裂の発言やファニーフェイスで高学年の女子の人気者になりました。中には、からかいながら接する子もいるのですが、私が学校に行くと「リュウくんって可愛いね」とよく言われます。同級生からも対等の立場かどうかはわかりませんが可愛がられているみたいです。正直、友達関係とは言い難い状態ですが、リュウは人に対する執着がほとんどないのでそれが自然なのかも。リュウに友達ができるとしたら大人になってからかもしれません。いじめられずリュウが快適ならお友達をつくるのは焦らなくていいというのが私の考えです。

 9月、長かった休職も終わりいよいよ仕事復帰となりました。リュウはうまく小学校生活をスタートできたと思います。
「リュウ、明日からお母さんお仕事だからね」
「はーい」
いつものようにリュウはあまり気にしてないようでした。

【ミニ情報】
お子さんが障がいなどのため、将来働くことが十分にできないかもとご心配な方に、ジブラルタ生命様から有益な情報をいただいて掲載しております。
どうぞご一読ください。
「子どもの将来が不安な時に」
 就学相談の前日、リュウは39度の高熱を出していました。就学相談を延期してもらおうかと思い電話をしてみましたが、一度延期すると次がいつになるかわからないと教育委員会に言われたので様子を見ました。幸い当日の朝は平熱に戻り、元気だったので予定通り就学相談を受けました。

 10月1日保育園生活が再開しました。保育園生活の再開はそれほど不安ではありませんでした。なぜなら1年半前まで通っていた園だからです。そして、弟のハルが1カ月早く9月から入園していたので、リュウは送り迎えについてきていました。リュウの登園は自然に入っていくことができました。

 とはいっても、心配でした。先生への挨拶はほとんどできないし、登園してからの身支度もやろうとせずオモチャに気を取られるリュウ。思わず保育室に入りリュウの身支度を手伝おうとすると「リュウ君のお母さんは帰って!」とリュウのクラスメイトの男の子に教室から追い出されてしまいました。初日くらいは午前中いっぱい見守ろうと思っていましたが、私がいると他の子がお母さんを思い出すのかなということも気になって、先生にお任せすることにしました。お迎えに行った時、先生が「リュウ君は全然大丈夫でしたよ」とおっしゃって下さったので安心しました。1年半前まで同じクラスだったクラスメイトに助けられた部分も大いにあったのかもしれません。

 以前、リュウは先生からの指示を受け取るのが難しかったのですが、繰り返し指示を促してもらうと理解できることが多くなりました。ワークブックなどをする時は、クラスメイトよりもスラスラ文字が書けるリュウに注目が集まったそうです。そりゃあ1年前から頑張ったんですもの!お友達にあまり興味が無く一人で遊ぶことは相変わらず多かったのですが、友達とトラブルになることはほとんどありませんでした。リュウのクラスは元気のいい男の子が多かったので、おとなしかったリュウは可愛がられたようです。

 私も職場復帰をしてリュウのことだけを考える時間が少なくなったこともあり、リュウとの関係が楽になったのを感じました。職場では仕事はきつかったけど、子育てをする私に対する対応が以前より格段に良くなっていました。上司である課長が定時過ぎには退社していたので、私も早く退社しやすかったのです。課長より先に帰ることがほとんどなかったので、気が楽でした。仕事という自己実現の場所を再び手に入れた、その喜びは何にも変えがたく、ああ私には仕事が必要なのだと再認識しました。

 11月生活発表会がありました。2年前ひまわり学園に行くことを考えるきっかけになった生活発表会を思い出すと私のほうが緊張しました。「せめてステージから脱走しないでほしいな」と消極的な思いで見守っていました。しかし、その考えは杞憂に終わりました。合奏、お遊戯、劇の全てに出演でき、ワンテンポ遅れてはいましたが課題をこなすことができていました。「ああ、成長したなあ」と涙が出そうになるのを必死でこらえていました。

 保育園での年中時代はトラブルがほとんどなく過ごすことができていました。年が明けて1月から療育センターのポニー通園に通うことになりました。保育園生活は順調だったとはいえ、療育機関と繋がりがない日々は不安でした。IQは年齢以上のものがあったのですが、社会性が幼いリュウ。ソーシャルスキルトレーニングを取り入れたポニー通園は魅力的でした。2週間(もしくは1週間)に1回、2時間の母子通園です。仕事をしていたのでポニー通園に通うのは2週間に1回が限度でした。この通園ではリュウの苦手なことばかりで、椅子に座る、自己紹介をする等、ひまわり学園や保育園では問題なくできていたことが全然できませんでした。あのひまわり学園に通っていた日々は何だったのだと通園に行くたびに落ち込んでしまいました。このことは後で慣れない環境では視覚や聴覚に受ける刺激が多すぎて落ち着きがなくなるというリュウの特性ならではの現象だったのですが、年長時の就学相談を控えていたので、地域の学校に通うことができるのかと不安に陥ってしまいました。それでも、この2時間の間に指導員の先生が悩みを親身になって聞いてくれて、リュウに対する対応を一緒に考えることができました。これは母子通園のいいところでした。

 3月末、三人目の子、珠子(たまこ)が生まれました。初めての女の子でした。年長になったリュウは次男のハルが生まれた時とは違って珠子をとても可愛がりました。赤ちゃんを認識できるようになったのでしょう。リュウは注意すれば理解できるようになっていたし、ハルは2歳にしてはとてもお利口で珠子に悪さをすることもありませんでした。

 珠子のいる生活に慣れてきた夏の初めの頃、リュウの担任の先生から「リュウくんが突然お友達を叩いた」という報告がありました。それまでリュウはほとんど他害が無かったので私はとても驚きました。その報告はそれから毎日のように続きました。どうしたんだろう...。実際にリュウがお友達と接している場面を見ていないので、その場面を確認したいと思いました。しかし保育園はひまわり学園と違って保育を常時参観できる訳ではないし、不安は続いていました。そんな悩みを母子通園の時に指導員の先生に話してみました。すると、先生は「リュウくんは本当に理由もなくお友達を叩いたのでしょうか」と言われました。確かに、その頃のリュウはすれ違いざまに人にぶつかったら、それを反復するかのように軽くタッチをする等、何らかの形で仕返しをしないと気が済まないというこだわりがあったのです。リュウの保育園での問題行動はその延長線ではないかという考えが浮かびました。療育センターから保育園に連絡を取ってもらい担任の先生同士で話をすると、こだわりの一種であろうということになりました。今まで周りに興味がなかったけれどお友達に対する関心が少しづつ出てきた、その結果仕返しという形でお友達に接してしまっていたのです。リュウのこだわりは一度現れると1~2か月は継続するという特性がありました。仕返しのこだわりはすぐには収まらないと思われたので、お友達に怪我などをさせないように担任の先生に様子を見続けてもらうことにしました。

 このことで悩んでいる間に就学相談の申し込みを行いました。就学相談というのは、発達に心配のある子どもを持つ保護者が、子どもにとってどこに就学することが一番成長できるのかということを教育委員会と話し合う相談会のことです。発達の状態によって支援学校、支援学級(知的、情緒)、普通級等、進路は様々です。リュウの保育園では就学相談を受けた人がこれまでにいなかったようで、私も初めてでしたが保育園の先生も初めてで試行錯誤の状態でした。書類を記入していてわからないところが出てきたら、わざわざ教育委員会や出身のひまわり学園に問い合わせをして書き上げました。仕事で書類を作成するのは慣れているのに、息子の小学校がこの1枚で決まるのだと思うと緊張してしまいました。

 地域の学校に行かせたいと思いながらも、情緒の支援学級でないとリュウはやっていけないのではないかと思っていました。しかし、そうなると隣の校区の小学校に通うことになり登下校の送迎が発生します。それをどう乗り切ればいいのか、せっかく家を構えたのに地元の子ども会に入会できずに地域の子どもと触れ合いが持てないのは寂しいのではないか、将来ハルや珠子とは別々の学校に通うことになるのだろうかという不安を抱えながら就学相談を迎えることになりました。

 ひまわり学園に来てから一年が経過しました。リュウは年中になっていました。私は半年後の10月に職場復帰でした。焦っても仕方が無かったけど、焦ってしまう私がいました。

 ひまわり学園での生活はリュウが年中に上がった時に大きく乱れました。ひどい登園しぶりを起こしたのです。クラスのメンバーや教室が変わったことが大きな要因でした。通園バスを見るだけで「ひまわり行かない!」と泣いて暴れてバスの乗車を拒否するパニックを起こし、園まで送ったり、違うバス停から乗車したり、まだ小さいハルを連れてなんとか登園させていました。こんな毎日が続き、成長を感じることができませんでした。この時期に療育センターで受けた発達検査も期待していたほどは伸びていなかったので、年中での転園をあきらめ始めました。場合によっては就学までひまわり学園にいることになるかもと。何とかして仕事を調整していかなければと思っていました。

 発達に心配のあるお子さんは小学校就学に際して就学相談を受けることができます。年長さんは就学相談の準備に入っていました。まだ年中ではありましたが、リュウが年長の時は仕事で忙しく時間がとれないだろうと思い、何校か支援学級の見学に行きました。支援学級では少人数で過ごすことができ、個人に合わせたプログラムで対応しているとのことでした。これなら無理なく学校生活を送ることができるなと思いました。その頃のリュウは普通学級でみんなに合わせて生活できるとはとても思えなかったので、支援学級が魅力的に感じました。でも、校区の小学校は小規模校で支援学級はありませんでした。私は支援学級に抵抗を感じてはいなかったのですが、地元の学校に通わせたいという思いが強かったのです。地元の学校であれば歩いて登下校できるし、地域の方も見守ってくださるので、何とかリュウが成長して地元の学校に行ければと思っていました。

 年中になって2ヶ月くらいしてから、リュウは落ち着いてきました。個別の担当の先生が変わったこともいい方向に作用したのかもしれません。発達別のグループもコミュニケーション力が伸びたので、希望のグループに入ることができました。リュウは知識をどんどん吸収していきました。一方的だった会話も少しずつ成立し始めていました。子どもとの会話って楽しいんだ、としみじみと嬉しくなったこともありました。相変わらずお友達との関わりは下手だったのですけどね。グループの保育を見学に行きましたが、先生の指示に従い決められた時間には椅子にきちんと座り、当てられると発表を的確にすることができるようになっていて感動しました。

 同じ頃、仕事の復帰先の課長と面談があり「リュウのことがあるので通勤手段を車にしてほしい」とお願いしました。課長は話を聞いてくれて「心配しすぎなくていい」と言ってくださいました。仕事に復帰しても配慮してくれそうな感触がありました。

 ひまわり学園に来て2度目の夏、私は3人目の子どもを妊娠していることに気がつきました。想定外だったので混乱しました。仕事復帰してからの生活を描き直さないといけなくなったからです。その上職場に何て言えばいいのか...。そんな事を考える事自体嫌だったのですが、男社会の会社なので考え込んでしまいました。少子高齢化なので子を生むという事がもっと胸を張れることだといいのにと恨めしく思ったものです。

 つわりと自分の気持ちが落ち着き、少し涼しくなった9月の初旬、ひまわり学園に第3子を妊娠したことを伝えました。そして同時に朝の通園バスには乗車せずに、車で直接通園をお願いすることもお願いしました。しかし、ひまわり学園の返事は、登園方法はあくまでも通園バスで行うようにとのことでした。一番はじめのバス停で乗車させても会社に間に合う時間ではありません。年老いた義両親にお願いするという方法も可能なのですが、毎日の事になると負担は大きくなります。また、会社に車通勤の申請を出してはいたものの復帰の直前までどうなるかわかりませんでした。

 正直困っていました。ひまわり学園に登園させる手段が無くなる...。解決する方法は保育園に転園させるしかない。私の中で年中まではひまわり学園に通わせることを覚悟していましたが、先生方から転園の打診が無かったので今後どうなるのか、とても不安でした。

 園長先生をはじめ、担任の先生方と話し合いの場が持たれました。園長先生は「仕事を辞める必要はない。リュウ君を中心に家庭を回していたら上手くいかなくなる。リュウ君も家族の一員なので彼にも協力してもらわないといけない」と言ってくださいました。「もうリュウ君は保育園でもやっていけるでしょう」とも。待ちに待った転園許可でもありました。

 時間はありませんでした。リュウが以前通っていた保育園に事情を伝えて急遽10月から保育をお願いする事を伝えました。9月からハルも同じ保育園に通っていたので同じ保育園に通えるのであれば助かります。クラスの定員までギリギリだったのですが、気持ちよく受け入れてくださいました。新しい担任の先生と面談した時、私の表情がよっぽど不安そうに見えたのでしょう。「大丈夫、リュウ君は私が守ります!」と言ってくださいました。接したこともない障がいがあるリュウにそんな事を言ってくれるなんて、驚きとともに感動しました。この先生なら信頼できるとも思いました。

 転園前に児童相談所で発達検査を受けました。約2年前に受けた値から40近くも伸びていました。担当してくださった心理士さんもデコボコはあるけど、保育園で生活できそうですねと言ってくださいました。毎日の生活の中では成長を感じにくいのですが、数字として成長を感じた時、リュウはとても頑張ったのだと思いました。もちろん伸びていようがいなかろうがリュウはリュウなのですけどね。数値が高くなっても生きる上での困難さには変りないですが、言語面での理解が伸びたことがとても大きかったです。ひまわり学園で適切な療育を受けたことがこんなにも成長に影響するなんて...。入園するときは迷いに迷ったのですが、本当によかったと思いました。

 9月30日、最後の通園バスからリュウが降りてきました。いつものようにバスから降りても車に一直線でバスに手を振ることも無く帰りました。「今日でひまわり学園最後だったね」というと「はい、帰ろう」と素っ気無い返事。彼らしいひまわり学園との別れでした。

 桜の咲く4月、ひまわり学園での生活が始まりました。

 そこでは、初めて経験する事だらけでした。私とリュウは、療育センター通園をしていなかったので、障がいのある子どもさんと接したことがほとんど無かったのです。


 発達が気になるお子さんは1歳6ヶ月検診や3歳検診で言葉の遅れ、多動等の傾向があると、区役所のわいわい子育て相談や療育センターの受診をすすめられることがあります。もちろん検診時に指摘されなくても親御さんが気になる行動があれば直接予約が可能です。リュウの初受診(3年前)の時は2ヶ月待ちでしたが、現在、療育センターの初診は混み合っていて数カ月待ちだとか。


 療育センターを受診した結果、療育を受けた方がよいと判断されれば療育センターに母子通園することができます。未就園児であれば週1,2回1014時までの集団療育に通います。リュウはハルが生まれる関係でひまわり学園に通うことが決まっていたので、療育センターの母子通園には通っていませんでした。

 

ひまわり学園での初日。入園式の間、ずっとゴソゴソするリュウに疲れ果てました。もっと多動の子もいたけれど、妊娠10ヶ月の体には堪えました。その頃の私はリュウに対する周りの目をとても気にしていました。療育に携わったことが無かったので、「とにかくリュウにじっとしていて欲しい」の一心でした。今思えば、リュウのような特性をもっている子どもが入園式という非日常の雰囲気の中、おとなしく座っていることなんてできるわけがないのですけどね。目に入る新しい教室の刺激、子どもたちのざわつき、落ち着かない要因だらけなのですから。療育センター通園の経験があるお母さんが大多数だったので、周りはリュウのことなんて気にしていなかったと思います。でも、当時の私は周りを気にしていました。追い詰められていたのかもしれません。

 

その後、「子どもさんと遊んであげて下さい」と言われたけど、どんな風にして遊べばいいのかわかりませんでした。そんな風にリュウと向き合う事なんて無かったですから。

 入園して2週間ほどは、母子通園でした。しかし、私は次男ハルの予定日が近かったので義母に母子通園をお願いしていました。

 

 ハルはリュウが入園して1週間後に生まれました。リュウに全然似ていない赤ちゃんでしたが、そんなことは関係なくとても可愛かったです。

 ハルを出産後、退院してからが大変でした。リュウ(3才)は言葉の理解がどこまであったかわかりませんが、よく動き回っていました。なので、ハルに近づかせないように細心の注意を払っていました。また、着衣に対するこだわりが強く出ていたので、入浴後、気に入ったパンツでないとパニック、なかなかパジャマを着ない等とても手こずりました。よっぽど生まれたてのハルの方が扱いやすかったのです。産後きつい時だったけど、全然ゆっくりできなかったのを覚えています。


 ひまわり学園では、家庭訪問が実施されていて、自宅にいらっしゃった担当の先生から「リュウ君は1歳位と思って接して下さい」と言われてとてもショックを受けました。当時3歳半位だったのですが、発達年齢こそ1年も遅れていなかったのに、1歳だなんて...。認知面ではそこそこ発達していたのですが、コミュニケーションの面の困難さが強かったのでしょう。ひまわり学園でも先生を受け入れるまでに時間がかかったようです。


 ひまわり学園で適切な療育を受けていたからでしょう、入園して半年が経ち、リュウの成長がめざましいように感じました。これなら次年度は、保育園の年中クラスに帰れるかなと淡い期待を抱いていました。しかし、運動会や2学期の保育参観を見ていると、決して、楽観できない状態でした。運動会は暑かったこともありやる気がなくフラフラしていていました。かけっこでは逃げ足は早いのにゴールを拒み、最後には喉が乾いたとパニック。保育参観は、一方的なコミュニケーションによりお友達に避けられているような状態で落ち込みました。家ではお友達の名前が出てきていたのに、そのお友達と仲良くしているのだろうと思いきや、そうでもなかったという現実に悲しくなりました。もう、保育を見たくないと思ったものです。発達別に縦割りのクラスが編成されていたのですが、リュウはコミュニケーションが難しかったので予想していたクラスには入れませんでした。「こんな状態なら1年後の仕事復帰の時に保育園に帰れないかも...、フルタイムに戻れるのだろうか?」確信に近い不安感が私を襲いました。

 

 リュウは本当に頑張っていたと思います。先生方も熱心に接してくれていたと思います。しかし、保育園ではあまり起こらなかった登園しぶりが頻繁にありました。(保育園時代は登園しぶりをするだけの意思伝達ができなかっただけですけど)苦手な先生がバスの担当の日はパニック、そんな姿を見ると切なくなりました。

 

 その頃の私はリュウのためになるなら出来る限りのことがしたいと思っていました。少しでもリュウが伸びるならと水泳と幼児向け学習教室に通い始めました。水泳は先生が気に入ったのか、先生の言う事をよく聞いてプールサイドでお利口に待てていました。苦手そうな顔つけもスンナリやっていてとても嬉しかったです。水泳の成果か、この頃から風邪を引く回数が減りました。幼児向け学習教室は視覚優位の特性を活かして、少しでも遅れている部分を伸ばし自信につなげられたらと思って始めました。(3年後の今も継続中)学習を続けることで数の概念、文字が入ってきました。集中力が続かないので課題をするのは大変でしたが、半年ぐらい経つと飛躍的に認知面が伸びました。

 

 12月に生活発表会がありました。運動会や保育参観のことを思い出し、生活発表会を見るのは正直気が重かったです。前の年は保育園でステージの上を走りまわり、お遊戯どころではありませんでした。しかし、そんな不安をよそにひまわり学園ではマイクを使ってしっかりとセリフを言うことができました。成長を感じとても嬉しかったです。

 3学期の個人懇談で私から年中から保育園の転園を打診したのですが、まだ時期尚早という見解をもらいました。ひまわり学園なら適切な療育受け成長できる、でも仕事はどうなるのだろう、この悩みは誰にも相談できずにいました。

 

 この頃はリュウとじっくり向きあって辛い時期でした。私も辛かったけど、リュウはそれ以上に辛かったかもしれません。先の見えない不安からリュウに辛くあたったこともありました。全てを投げ出してリュウに捧げる覚悟はなく、私は、自分らしさを失いたくなかったのです。リュウに寄り添えば寄り添うほど辛くなるときもありました。子どもを育てること、ありのままを受容することの難しさを感じました。親としてこれでいいのかという葛藤が常に付きまとっていました。その思いは、今もまだ続いています。

 

だれかとどこかでこんな気持ちを分けあいたいとずっと思っていました。オヤトコで8月下旬に「ハンディ(障がいや持病など)を持つ子どもを育てる親の交流会」を計画しています。参加したい方、一緒に企画を考えたい方は、コラムの感想を添えて「お問い合わせ」からご連絡いただけたらと思います。

 

※ひまわり学園等の通園施設は1014時位までの保育なので、保育園の917時保育とは時間が圧倒的に短いです。通園もバスを利用しないといけないので、働く親御さん(特にフルタイムの方)の悩みの一つだと思います。預り保育のある通園施設もありますが、北九州には1園しかありません。うまく仕事と両立できている方のご経験をお聞かせください。コラムの感想もお待ちしております。


リュウの妊娠期間は波乱万丈でした。

妊娠3ヶ月まで、転勤直後の激務のためリュウの妊娠に気づきませんでした。それまで、仕事帰りが0時を過ぎることが当たり前の日々を過ごしていました。不注意で自転車から転落し、腰を強打し頭から出血するという怪我をしたこともありました。

 

職場では、妊婦第1号だったので周囲もどうしていいかわからず、また自分もどうしていいかわからず、当時の上司は転勤したばかりで仕事ができない私に叱責する日々。一度職場を禁煙にしたのですが、男性が大多数の職場だったので「その大多数」の意見を尊重し喫煙復活。私はこの職場では必要とされていないんだ、と産休に入りたくて仕方がない毎日でした。そんな中、妊娠と仕事を継続できたことはある意味奇跡だと思います。

はじめまして、楓です。我が家の家族を紹介します。発達障がい(高機能自閉症)の長男リュウ(6歳、もうすぐ就学)、今のところ健常の次男ハル(2歳)、まだまだ赤ちゃんの珠子(初めての女の子、10ヶ月)と夫の5人家族です。現在は第3子珠子の育児休業中ですが、復帰すればフルタイム勤務(正社員)になります。

このコラムでは、長男リュウの成長をつづっていきたいと思います。
障がい発覚、通園施設、保育園転園、就学相談、就学判定、小学校生活...。
あ、小学校入学はまだですのでこれからの経過次第なのですが、今のところ教育委員会の就学相談にて普通級判定なので地域の小学校に進学予定です。
第1回:はじめましての写真
 

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