働きながら発達障がい児を育てる 働きながら発達障がい児を育てる

第2回:誕生から障がい発覚まで

リュウの妊娠期間は波乱万丈でした。

妊娠3ヶ月まで、転勤直後の激務のためリュウの妊娠に気づきませんでした。それまで、仕事帰りが0時を過ぎることが当たり前の日々を過ごしていました。不注意で自転車から転落し、腰を強打し頭から出血するという怪我をしたこともありました。

 

職場では、妊婦第1号だったので周囲もどうしていいかわからず、また自分もどうしていいかわからず、当時の上司は転勤したばかりで仕事ができない私に叱責する日々。一度職場を禁煙にしたのですが、男性が大多数の職場だったので「その大多数」の意見を尊重し喫煙復活。私はこの職場では必要とされていないんだ、と産休に入りたくて仕方がない毎日でした。そんな中、妊娠と仕事を継続できたことはある意味奇跡だと思います。

リュウに初めて会ったとき「何て目力の強い子なんだ!」と、とても印象的だった。


生まれてからは皆が通るはじめての育児で、右も左もわからず不安になることも。でもこの不安もみんな同じなんだなと思えば特別な感覚はありませんでした。女の子みたいにパッチリとした目をもつリュウはどこに行っても「可愛いね」と言われ、自慢の子どもでした。11ヶ月で歩き始めるなど順調だったので、1歳までの育児は何も疑うことがありませんでした。1歳よりちょっと前に、女の子のお友達が指差しをしているのを見て、「うちの子はしないな」と思ったくらいでしょうか。

 

1歳で職場復帰しました。朝8時前に登園し、帰りは夫の両親にお迎えをお願いしていました。朝はゆっくり保育士さんと話をする間もなく、リュウを置いていくような感じで登園。以前の職場から転勤し、仕事は忙しかったけど上司や同僚に恵まれたため充実していました。

 

初めてリュウに疑問符が付いたのは夕涼み会の時です。1歳児クラスのお友達はきちんといすに座っているのに、リュウはすぐに逃げ出そうとするので先生がずっと側についていました。「元気がいいな」なんて当時は楽観的に構えつつも一抹の不安を感じたものです。しかし、その後の1歳6ヶ月検診では何も指摘されることが無かったので安心していました。2歳になってもおしゃべりができなかったけど、単語ははっきり言うし、歌がとてもうまく音程がよかったので「この子は芸術肌だ」とまだまだのん気でした。一方で私は、休日にお出かけするとどこに走っていくかわからないリュウにヘトヘトにさせられていました。その年の生活発表会は土曜日に開催されたにもかかわらず、仕事で行けませんでした。

 

2歳クラスの夕涼み会で昨年と全く変わらないリュウを見て、久しぶりに不安がぶり返してきました。夫に話しても「そんなもんでしょ」と気にも留めない様子。その頃、次男ハルを妊娠したので、気にしたくてもつわりが辛くてそれどころではなかったという感じでした。決定的な事実は意外なところから聞かされました。保育園の主任の先生から義母に「リュウは舞台に立つと興奮するから、担任が抱えて参加することになりますけどいいですか」と。

 

青天の霹靂とはこういうときに使うんだ、と他人事のように感じました。

気になる点はそれまで多々あったのですが、往生際の悪い私達夫婦は「もう少し様子を見よう」とか「次男が生まれてお兄ちゃんになれば変わるはず」などと現実を見ようとしなかったのです。いつもは夫に意見しない義姉までもが、「話がある」と懇々とリュウの状態や義両親の思いを夫に伝えたのです。

 

また、義母はどこに相談してよいかわからなかったのでタウンページで児童相談所(子ども総合センター)の電話番号を調べ、相談を予約していました。当時、私は6ヶ月の妊婦でしたが仕事が忙しく午前様になることもありました。そんな私を見かねてか、義母は「私がリュウを連れて行くから、楓さんは来れたらでいいよ」と完全に主導権を取られていたのです。リュウの命に関わることではないけれど、さすがに、リュウの大事なことを私が把握していないなんて親としてどうかと思い、年休を取得し子ども総合センターに判定に行きました。

 

発達検査の結果8ヶ月遅れとのことでした。臨床心理士さんが「半年程度の遅れなのでこれから取り戻せると思います」と言ったので、リュウはそんなに深刻じゃないんだと思ったのを覚えています。しかし、後から計算したら軽度の療育手帳が出るか出ないかのスレスレでした。臨床心理士さんとの話の中で手帳の話は出なかったこともあって、てっきり大丈夫なんだと変に勘違いしてしまったんでしょうね。

 

これから療育を進める方法として、このまま保育園に通って週2回だけ療育センターに通園するか、週5回ひまわり学園という療育専門施設に通うか、2つの選択肢が提示されました。「4月には次男が生まれるからとても療育センターの母子通園は無理だな、でもリュウは軽い障がいだからひまわり学園は通えないだろうな」とあれこれ思いました。とりあえずダメ元でひまわり学園の願書を提出。すると4月からひまわり学園の入園許可が下り、ひまわり学園に通うことになりました。ありがたい話だったのですが、このことがリュウの障がいを突きつけられる決定打となったのでした。

 

3月になって産休に入り、私がリュウの保育園のお迎えに行くようになりました。リュウの同級生はしっかりしていました。同年齢の子がどんな成長をしているのか、そして、わが子がどのように成長しているのか、全然気がつかなかった事実が辛くてしかたありませんでした。ある日年長さんと思われる女の子に言われました。

「どうしてリュウ君は走り回るの?」

そんなの私が聞きたいよ!と思ったのですが、「そうだねぇ」と気の無い返事をするので精一杯でした。ここで辛い思いをするよりひまわり学園に行った方が伸びるだろうなとも思いました。

 

保育園最後の日、リュウを迎えに行った夕方、夫と担任の先生にお礼の挨拶をしました。先生は「力が及ばず何もできなくてすみませんでした」とおっしゃいました。そんなこと無かったのです。この保育園は本当に暖かい保育園で何かとリュウに配慮をしてくれました。思わずポロポロ私の目から涙が落ちてきました。先生を見ると先生も泣いていました。それを見たリュウも不安になって泣き出しました。文字通り涙のお別れでした。

「また保育園に帰ってきてね」

暖かい先生の言葉を心に抱いて、ひまわり学園へ一歩踏み出したのでした。

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